幕藩体制が成立すると松前藩以外の大名はアイヌとの交易を禁じられました。
それまではアイヌが松前城下や和人地に赴く交易スタイルでしたが、
松前藩が蝦夷地各地に商場を設置し、そこに居住するアイヌと交易する
「商場知行制」という体制に変わります。
次第に松前が主権を握るようになり、
アイヌは一方的で不条理な取り引きを余儀なくされます。
後にエゾ錦と呼ばれる中国渡来の官製絹服を着てきたアイヌくん。
17世紀後半、北のアイヌはサハリンを中継地として
さらに北方の民族と「山丹交易」を行い大陸の品を得ていました。
大事な場面ではこれを着ていたと考えられます。
実際に津軽がアイヌに情報を聞きまわったのは1670年頃で、
「衣類の見事なること言葉に表せないほど」という意味合の文も
アイヌが語った松前支配の不満と共に「津軽一統志」に残されています。